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草川の第3話

前のブログから随分と経ってしまいましたが、ホ-ムペイジのリニュ-アルが終わったので、これからは頑張って書いていきたいと思います。

何分古い話なので順番や年度が間違っているかもしれませんがご容赦ください。

小さな自転車屋のオヤジがだんだんスポ-ツ車に魅せられ、取扱いも増えていきました。

開店して3年ぐらいたったころ、当時シマノと並んで世界で人気のあったパ-ツメ-カに前田工業(サンツア-』がありました。日本で初めてそのサンツア-が神鍋高原でロ-ドレ-スを開催しました。1981年から始まった一般公道を使ったロ-ドレ-ス、しかも登録選手だけでなく、一般の人たちも参加できるものでした。私はその年さっそくお客さんと見に行きました。そして感激をして来年からの参加を決めると同時に、パズルというクラブを作りました。

神鍋ロ-ドレ-スはサンツア-の社員のスポ-ツ車への思いがいっぱいに詰まった手作りレ-スとして年々人気が出て大盛況でした。TV中継もあり、わがパズルからも入賞者が出て大いに盛り上がりました。83年にシマノの社員が頻繁に来店し、神鍋ロ-ドの事を聞きに来るようになり、シマノもロ-ドレ-スを開催するつもりだと思いました。

84年初夏の神鍋ロ-ドはその年からサンツア-レ-シングに参加した、高橋松吉選手がアメリカのクワ-ズクラッシック完走後帰国しすぐに参加して大盛り上がりでした。その年の秋いよいよシマノがグリ-ンピア三木でロ-ドレ-スを開催しました。シマノの威信をかけたレ-スは神鍋の手作りレ-スとは違い、大きな、華やかなものでした。翌年から神鍋ロ-ドは廃止となり、シマノロ-ドレ-スは鈴鹿に場所を変えて現在まで続いています。

丁度その頃、関西のスポ-ツ車を扱っている店が集まって、琵琶湖1周サイクルマラソンを始めました。もともと2,3軒の店が行っていたのが瞬くうちに参加希望者が増え、私たちも参加するようになりました。その後関西からだけではなく、全国からの参加も増え滋賀県警の要請で滋賀県サイクリング協会に主催を移管し、その後10何年か続いたと思います。

こうして周りの環境もスポ-ツ車にとって良い方向に向かっていった頃第1次ロ-ドレ-サ-ブ-ムが到来しました。

 

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